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◆第9回 稲葉真弓賞(三稜会懸賞論文)選考結果

◇テーマ 『日本』 ◇応募総数 553点

津島北高等学校111点 五条高等学校2点 稲沢東高等学校3点
津島東高等学校3点 美和高等学校1点 清林館高等学校2点
愛知黎明高校6点 稲沢高校1点   
杏和高等学校64点 津島高等学校360点   

◇入賞作 7点
 <最優秀賞> 1点
  清林館高等学校 2年 三田村 明沙美

 <優秀賞>  1点
  清林館高等学校 2年 栗山 希美

 <佳作>   5点
  稲沢高校    3年 齋藤 允由樹
  津島東高校   2年 下ノ薗 真琴
  愛知黎明高校  2年 一色 アミナ
  津島高等学校  1年 小平 愛佳
  津島高等学校  1年 高橋 誠子
※学年は応募時点となっております。
多数のご応募ありがとうございました。



◆入賞作品

最優秀賞「恵みと幸福」清林館高等学校2年 三田村 明沙美

 普通より良い条件・環境を与えられている状態を「恵まれている」と言い、不平や不満がなく心が満ち足りていることを「幸福」と言う。この二つの言葉を「日本」に当てはめて考えてみる。
 日本の多くの人は、毎日着る服があり、空腹を満たすだけの食料があり、雨風をしのぐことができる家がある。そういう点で、日本は国民が健康で文化的に最低限度の生活を送ることを保障された国だと言える。これはまた「恵まれている」とも言う。   
一方で国際連合が今年発表した世界の幸福度ランキングの日本の順位は第五十四位である。これは世界基準で見た場合、日本の幸福度が極めて低いことを表している。つまり日本は、生活などに恵まれた国であっても、手放しに幸せな国であるとは言えない状況にあるということだ。私はその原因を日本人の欲と日本の発展に注目して考える。
 人間は常に欲をもって生きている。その欲は千差万別である。しかし、国単位での欲について考えてみると、欲の種類には国ごとに特徴があると思う。例えば、パキスタンには、すべての男女が平等に教育を受けられる国にしようと戦った少女がいる。それはパキスタンが満足に勉強させてもらえない国であるからこそ教育を受けたいという一つの望み、いわゆる欲が生まれたのである。
では、日本だったらどうだろう。彼女のように教育を受けたくて、それを世の中に訴える人間はいるだろうか。私はいないと考える。なぜなら日本は、中学校までは義務教育、高等学校や大学においても、国からさまざまな支援が受けられるなど教育に関して非常に前向きな考えをしている国だからだ。
 このようなことから、人は本来今あるものでそれが十分に足りていれば、それ以上のものを望まない性質があると私は考える。しかし、今の日本は実際にあるものに満足しきれず、より質の高いものを要求するようになってきているように感じる。私たち高校生が普段の生活を送る中でもそのように実感させられることがある。例えば、今若者の間で流行中の無料で写真や動画を共有することが出来るインスタグラムの中の「インスタ映え」という言葉。これは食べ物や風景の写真を一際見映え良く撮影し、多くの「いいね」をもらうというものだ。以前私はこんなニュースを耳にした。それはインスタ映えすると話題になったアイスショップのゴミ箱に、大量の食べ残しが捨てられているというものであった。このニュースから分かることは、多くの人がインスタ映えを狙い素敵な写真だけを撮り、食べ物を無駄にしてしまっているということだ。つまり、食料など十分にある日本では、食べるという行為だけでは満足し切れず、写真映えするものを欲しがるという欲の追加が起こっているという事実が存在するということだ。
 欲の追加がなされるということは、人の心が満たされるまでの距離が遠くなっていくことを意味する。きちんと三食食べられなかったかつての日本では、美味しいご飯が食べられることに満足し、心が満たされた状態であったのに、今では例にあったように、それに加えて周りからの評価を得られてやっと満足するという状態に至る。つまり、日本のように恵まれた環境にいればいるほど、私たちは心の満足という幸福を感じにくくなっている傾向があるということだ。その結果として日本の幸福度は他国と比べて低くなっているのだと考える。
 もちろん、一切の欲無くして、今の日本は自分の国を発展させることを成し得なかっただろう。私たち日本人の祖先が、日本を便利な国にしたい、自立できる国にしたいと思う欲があったからこそ、日本が現在のような発展した国になれたと考えるからだ。その上で欲は大変意義のあるものだと考えられる。
 しかし、一方で私は国の発展には限度が必要だと思う。例えば、世界全体で自動車産業が盛んになり、世界の七十億から八十億の人が同じだけの車を運転することになったら、私たちが呼吸できるだけの酸素は、一体どれだけ残るのだろう。このような行き過ぎた発展は、時には私たちの必要最低限の生活までも奪ってしまう可能性がある。
 日本人の欲は日本の発展を支えるものではあったが、先進国と言われるまでに成長した今の日本の欲は、少し傲慢であるようにも感じられる時がある。その傲慢な欲はこれからの日本を不幸せな国に導く可能性もある。
 だからこそある程度満足した生活を送ることができる日本に暮らす私たちは、必要最低限のもので満足することを知り、感じる必要がある。つまり、国の発展は、国民が必要最低限のものでも満足することができるようになって初めて本当の意味で幸福な発展と言えるのではないだろうか。
 「貧しい人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、もっともっとと無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ。」というウルグアイの元大統領であるホセ・ムヒカ氏の言葉は、私に新たな考えを与えてくれた。彼がここで伝えたいのは、貧しさをお金という一つの括りで考えるのではなく、心の面からも考えることができるということだ。私たちが日々あたりまえのように暮らしている日本は貧しいのだろうか、裕福なのだろうか。それぞれ自分の心に問いかけてみてほしい。そして、これまでの生活や行いを見つめ直してみて欲しい。きっと日本人の誰もが貧しい人になる可能性があるだろう。
 皆が幸せだと胸を張って言えるように、日本で生活する人は恵まれた国に生まれたことに常に感謝し、幸せなことなのだと自覚し、その考え方を身に付けることが大切であると私は考える。そうすれば、日本は生活が恵まれた国であることと比例して、本当の意味で幸せな国であることを実感できるはずである。
 私は「日本は幸せな国ですか。」と問われたら、迷わず「はい。」と答えたい。



優秀賞 「日本」を離れて知った「日本」 清林館高等学校2年 栗山 希美

 私は「日本」に対して好感がもてず、むしろ批判的であった。日本語という自国でしか話されていない言語を使い、島国で周囲から孤立したような状態に堅苦しさを感じていたのだ。「窮屈な日本を抜け出して、海外に行きたい。」「英語を身に付けてグローバルな社会で活躍したい」という思いが徐々に強くなり、私は1年間留学することを決意し、17歳の秋、アメリカのテキサス州に飛び立った。その経験を通して、初めて「日本」という生まれ育った母国を離れて気付いたことが2つある。
 一つ目は日本と海外のおもてなしの違いである。日本のおもてなしは、オリンピック誘致の時に行われたIOC総会で世界的に有名になり、今ではいろいろなところで、来日した外国人に満足してもらうための取り組みがなされている。私の中学や高校に海外からの生徒が来たときは、先生から紹介があり、日本語を上達させるためのクラスが用意されていた。しかし、私が留学したときは特に紹介されることも英語力向上のためのクラスもなく、1人の留学生として現地の生徒と同様に学校生活を送った。始業式のようなものもなく、学級制でもないので、初日の1限目から授業が始まるのだ。日本では留学生がなじみやすいように周囲がサポートしていくのが一般的である。それに対してアメリカでは、、たとえ留学生であっても、皆が同じ生徒であると考えられていた。初めのうちは戸惑ったが、特別な扱いを受けないために自分から話しかけていく積極性が身に付いた。
 また、アメリカで出会った店員は、誰も皆、初対面である私に英語で、しかも以前からの友人であるかのようにフランクに話しかけてきた。私は現地の人と英語でコミュニケーションをとることができてうれしかった。しかし、日本人は外国人と出会ったとき「相手の母語で話さなければ」と思いがちだ。私は日本人の相手を気遣う心と、アメリカ人のフレンドリーで対等な人柄を身をもって感じ、相手を思いやる気持ちが同じでも対応が全く異なることに驚いた。
 では、日本のおもてなしを海外の人はどう思っているのだろうか。帰国後、私はインターネットで「来日した外国人が日本人から話しかけられたときどう思ったか」という記事を見た。「英語で案内してくれて助かった」「英語で説明してくれたから分かりやすかった」というようなポジティブな意見も見られたが、私の印象に残っているのは「日本に来たからには日本語を使ってみたいのに、英語で話しかけられてがっかりした」や「英語学習のルーツとして使われているような気がしてならない」というようなネガティブな意見も多かったということだ。日本人が良かれと思っているおもてなし、私があたりまえであると考えていた気遣いは、育った国の文化や来日の理由が異なる全ての人に受け入れられるものではないと感じた。だからこそ日本は、マニュアルどおりの通り一遍なおもてなしではなく、状況に合わせたおもてなしをする必要があると考える。
 二つ目は、日本のことが外国人にあまり知られていないといことだ。留学生活も半ばを過ぎたときのことである。通っていた公立高校では、言葉の壁はあったが共通の趣味を通してたくさんの友人ができた。英語で授業を受けたり、自分の考えを伝えることはとても新鮮で、毎日が充実していた。そんなある日、友人の一人が私に「日本ってどこにあるの」「日本にはどんなものがあるの」と尋ねてきた。これらの言葉に驚かされたことは今でも鮮明に覚えている。
 テレビや雑誌でよく見られるような、来日した外国人観光客へのインタビューでは、彼らは自国では見られないような日本特有の美しい風景や日本食の魅力など、日本へのあこがれを楽しそうに目を輝かせながら語っていた。私はたいていの人は日本のことを知っているのだと思いこんでいたため、少なからずショックを受けた。私が出会った人は日本の国名やアニメのことは知っているけれど、それ以外は知らないという人がほとんどだった。私は友人に、持参した優美な古都の写真を見せたり、日本のお菓子を一緒に食べたりしながら母国の紹介をした。彼女たちは興味をもって私の話を聞いた。時には、私が教えた日本語の挨拶や文字を使い、日本についてもっと知りたいと言ってくれた。私はその時、日本の話をする楽しさ、そして自国について知ってもらう喜びを感じた。 
 私は今回の留学で、アメリカのテキサス州の生活を体験したが、それは広大なアメリカのほんの1部、世界のほんの一端に過ぎない。世界にはもっとたくさんの考えた方をもった人がいて、もっとたくさんの文化があるだろう。留学に行く前、私は日本に対して批判的なイメージをもっていた。だが、人に伝えることで、今まであたりまえだと思っていた特有の文化は、島国だからこそ他国の影響を受けずに伝承されている日本の良さであることに気付いた。今、私にとって「日本」は大好きな母国である。私には「グローバルな社会で活躍する」という夢がある。他国やそれぞれの地域の文化を理解しつつ、日本を離れてみたからこそわかる日本の良さや魅力を世界に発信していきたい。



佳作 「日本人らしさという檻」 稲沢高校3年 齋藤 允由樹

 今の日本が抱えている教育問題と「良い」「悪い」について私たちは考えなければならない。
 私たちは日常的に、「いい子」「いい人」という言葉を使う。「いい子でいなければならない」と考えたり、「~する人はいい人じゃない」と口にしたりすることも少なくない。しかし、「いい」とは、一体何に対しての「いい」なのか、改めて考え直す必要があると考えた。
 私は小中学生の頃から課題を提出することが苦手なタイプだった。反面、いい子でいようとする意識が人一倍に強く、提出できなかったり、教員に指導を受けたりすると強い自責の念にも駆られた。
 中学時代のある時期、課題の提出だけでなく、部活動へ参加する、授業中に居眠りしない、朝起きて学校に行くなどあたりまえのことがあたりまえにできなくなっていった。毎日叱られたが、どうしてもできないものはできなかった。そのうち目眩や頭痛が止まなくなり、学校に通うことが少なくなっていった。なまじ元がいい子であったため、家では「どうしてこんな……」と言われた。それを尻目に布団の中でスマホを手にする。好きな音楽を聞いても、いつ叱られるか気になる毎日だった。ある日、気まぐれで天体写真についてのサイトを見た。天文は元々の趣味であったせいもあり、「やりたい」と強く感じた。それから、学校と家庭について考えるのをやめ、天文に打ち込むようになった。私はいい子をやめた。天体写真を追究する中で、さまざまな物事に触れるようになった。新しい撮影システム、自分なりのノウハウ、撮影地の田舎で会った人、SNSの趣味仲間。目眩や頭痛は次第に少なくなっていき、朝も起きたい時間に起きられることが増えていった。そして何よりも、「楽しい」と感じられるようになった。
 いい子でいようとしていたときに病み、いい子をやめたら心身の健康を取り戻す。こう考えると、いい子であることは意味がないように思われる。
 これを紐解く鍵として、心理学に、禁止令、ドライバーという言葉がある。簡単に言えば、禁止令は「……してはならない」、ドライバーは「……しなければならない」という強迫観念のことだ。これらは、幼少期に誰かから言われたり、非言語的コミュニケーションによって伝えられたりしたメッセージによって植え付けられたものだ。例えば、良い成績をとらなければ親が受容しない環境にいると、子は「成績をとらなければならない」と思い込む。「あなたは成績をとらなければ価値がない」というメッセージを受け取るからだ。あるいは、子を疎ましく思う親では、言葉に出さなくても表情や所作によって伝わり、子が自己肯定感を失う。「存在するな」というメッセージとして受け取るからだ。このようにして禁止令やドライバーを植え付けられた子どもは、成長しても過去を再体験し、自他からメッセージを受け取り続ける。これが「いい子」、「いい人」の正体だ。
 もう一つの鍵として、幼児的願望という言葉がある。「ああしてほしい、こうしてほしい」という一方的な要求のことを指し、本来ならば、幼少期に満たされることで落ち着く願望である。日常的に抑圧をされる子どもはこれが満たされない。幼児的願望が満たされないと、不満や憎悪を抱く。このため、幼児的願望が満たされないまま成長すると、一方的な要求によって周りとのコミュニケーションをうまく取ることができなかったり、不満がちになったりする。また、憎悪が自分に向けられると、自罰的になったり、禁止令やドライバーをより強めたりする。外部に向けられると、攻撃性となって現れる。いずれもうつや精神障害の原因となり、自傷や他害、あるいは自殺や他殺を引き起こしうる状態になる。多く見られる実例として、幼児的願望が満たされないまま親となった者が、子にも一方的な要求をすることがある。しかし子どもが、親が望むように定時で寝起きしたり、ご飯を上手に食べたりできるとは限らない。そうすると親は不満や憎悪を溜め、子に否定的な「メッセージ」を発する。そしていつか、成長した子が「メッセージ」を発する側に回る。親子以外の関係でも同様だ。
 以上を踏まえると、いい子やいい人の「いい」が、少なくとも本人にとってではないことがわかる。つまりそれは、強迫観念を植え付けた人や、思い通りにしようとする人にとっての「いい」なのだ。言うなれば、「都合のいい人」である。誰かの底なしの願望に合わせようとして、精神に支障をきたさない方が不思議なくらいだ。
 不用意に抑圧することを防ぐためには、抑圧と自制の違いを知る必要がある。抑圧は、「~しては・しなければならない」という、実態のない強迫観念が動機だ。対する自制は、「~したら・しなかったらこうなるだろう」という、合理的な思考に基づく。合理的な思考に基づけば、本来私たちには、常にほぼ無限の選択肢がある。例えば、朝起きたくなければ、起きなくても良いのだ。もちろん、仕事や学校、交友関係へ何らかの支障が出ることもあるかもしれないが、それ以上でもそれ以下でもない。支障が出ないやり方もあるだろう。起きなければ誰かに叱られる、怒られる、暴力を振るわれるなどの場合でも、その動機の脆弱性や、それに恐怖を感じる原因を知れば、対処の仕方が見つかるかもしれない。「起きなければいけない」の裏に隠されている「何がいけないのか」という点を忘れて、無根拠で無制限な強迫観念に駆られることは望ましくない。
 あなたが普段考えているそれは、本当にやってはならないのか。本当にやらなければならないのか。「良いこと、悪いこと」とは、何に対しての良い、悪いなのか。そして、自分以外の誰かにとっての「いい人」になっていはしないか。「私たちは考えなければならない」。



佳作 「日本人」としての成長 津島東高校2年 下ノ薗 真琴

 「日本」と聞いて、第一に何を連想するだろうか。着物や袴などの衣文化、寿司や味噌汁などの食文化、畳や縁側などの住文化。他には、正座や敬語といった、日本独自の礼儀作法やしきたりではないだろうか。
 今例に挙げたもの以外にも、日本には数多くの文化や慣習がある。これらは日本でしか見られない、いわゆる「日本文化」というものだ。多くの人々は、「日本」と聞いて、これらを連想するのではないかと思う。しかし、私たちは、もっと重要な文化を忘れてはいないだろうか。日本が日本という国であるために欠かすことができない要素。それは、「日本人」という存在である。「日本人」も日本文化の一部なのである。
 この事実に、私たちは日頃から意識を向けているだろうか。向けている人は限りなく少ないのではないか。私たちは未来の日本を担っていく者という自覚をもち、自身の中の「日本人」という意識を見つめなおす必要があるのではないか。
 以前、私はある動画に強い衝撃を受けたことがある。それはアメリカ人の特性を表すものだった。動画はアメリカのドッキリ番組の一部であり、おもちゃを買おうとする子どもが、所持金が足りず困っているときに、周りの見知らぬ大人が、どのような対応をするかという検証だった。私が驚いたのは、見知らぬ子どものはずなのに、周りの大人はその子におもちゃを買ってあげていたのだ。さらに驚いたのは、そのような行動を取っていたのは一人や二人ではなく、対象になったほとんどの大人だったということだ。日本ではそうないことだろうが、アメリカではあたりまえのことであるようだった。これがアメリカ人の特性であると言えるだろう。
 この検証の後に行われたインタビューでは、「なぜ知らない子どもにおもちゃを買ってあげたのか。」という質問に対して、対象となった大人たちは口々にこう答えていた。「考えることより先に行動してしまっていた。」と。私は三度驚いていた。自分自身、何かをする時には、いつも考えてから行動に移しているからだ。
 私は自身のこの性質を厄介と思い、痛感した経験がある。高校生になってから電車を利用する機会が増えた。自分が席に座っている時に、お年寄りが立っているという状況がしばしばあった。席を譲りたいと思ったが、「どうぞ」という一言を言うだけで、それに値しない程長い時間逡巡した。「年寄り扱いをするな。」と言われるのではないか、「いや、大丈夫です。」と拒絶されるのではないか。とにかくネガティブなことばかり考えてしまい、なかなか実行に移すことができなかった。結局、声をかけて席を譲った。お年寄りは「ありがとう。」と言って笑ってくれた。私の悪い想像のようなことは起こらず、安堵をした。同時に、もう少し早く決断して実行していればよかったという、後悔の念も生まれた。私と似たような経験をした人はきっといるだろう。身近な例では授業中のものがある。授業中に先生から「この問題がわかる人、わからない人」と、どちらかに挙手を求められることがある。この時、どちらかに手をあげなくてはならないはずだが、手を挙げる人は実に少ない。これは、「自分の答えが間違っているかもしれない」という不安と自信のなさ、「目立つことはしたくない」という「日本人」的な思考から起こることだろう。
 今までは「日本人」の性格の「消極的」で「心配性」というネガティブな面を述べてきた。しかし、こういった面は、「謙虚」で「注意深い」というポジティブな面に変えることができる。どちらも真意は似ているが、言葉の表現の仕方で、私たちの性格はプラスにもマイナスにも化ける。言葉だけではない。シチュエーションによっても同じことが起こる。先程述べた、授業でよく見られる挙手の場面では、私たちの性格の悪い面がよく出ている。自信がなく、周りの反応を気にして、どうすればいいのかがわからなくなり、結局何も行動を起こさないまま、先生の投げかけた言葉に対処できない。これは紛れもない「消極的」な面である。そしてこの場面での「消極的」な要素は、どのようにしても「謙虚」に返還できない。この場では「消極的」な「謙虚」さは必要ないものなのだ。
 現在、私は高校生である。そして、「消極的」な要素を多数持っている。それをさまざまな場面で出してしまっている経験もたくさんある。その中には「まだ学生だから」という理由で許されていたこともあるだろう。しかし、いつまでも、学生という立場に甘えている訳にはいかない。学校を卒業し、社会に出てまだ、「消極的」な自分でいつづけるわけにはいかないだろう。だから、高校生である今のうちに自分を見つめ直す必要がある。そして、「消極的な自分」から、「謙虚な自分」に成長しなければならない。この先の未来の日本が希望ある国にしていくために。



◆佳作 「日本」 愛知黎明高校2年 一色 アミナ

 生まれた時には神社で氏神様に健康と長寿を祈り、人生最大の行事ともいうべき結婚式では、教会でイエスの前で愛を誓い、そして人生最後の幕引きにはお寺で仏にすがる。お盆には先祖にお供えをし、クリスマスをも祝う。それが日本人、そして現在の日本の文化だ。特定の信仰をもつわけでもなく、何か忌み嫌うわけでもない。つまり、無宗教というわけだ。もちろん一億三千万人全員がそうだというわけではないが、日本で普通に暮らしていく中では、そうでない人を見つける方が難しいかもしれない2012年にアメリカの調査機関が発表した統計によると、日本人の約6割が無宗教だという。
 「無宗教」それは日本に生まれ、日本で育ち、日本で働き、日本で一生を終える人々にとってはあまりにあたりまえで日常的なことかもしれない。しかし、ひとたび海の外に出てみれば、それは日本の中だけのあたりまえであって、世界的にはいかにあたりまえではないことなのかが明らかになることだろう。そこで今回私は、日本と宗教の関係について世界と比較しながら考えてみた。
 私は父がスリランカ人で、母が日本人のいわゆるハーフとして、ここ日本で生まれ育った。小学校卒業後は一時期、父の国であるスリランカに住んでいた時期もあるが、基本的には日本で暮らしている。そして日本では珍しいイスラム教徒だ。私はそのことに関して誇りをもっているし、自分の境遇を嘆いたことも一度もない。ただ、日本ではイスラム教徒と聞くと、四年くらい前に話題になったイスラム過激派組織ISやその他のテロなど、あまりいいイメージがないのは確かで、そしてそういう過激な思想をもつ人たちがいるのも事実だ。しかし、注目してほしいのは、「過激派」という部分である。つまり、一般的なイスラム教徒ではなく、ごくごく一部の少数派だということだ。事実、イスラム教徒の中でもそういった人たちをイスラム教徒だと認めたくない、同じだと思われたくない人は多いし、私もそのうちの一人である。そういった意味では、日本でムスリム(イスラム教徒)であることは、先入観をもった目で見られるということで、デメリットしかないように見える。しかし、私はこの無信仰の人が大半を占める日本に住むムスリムでいられて良かったと感じている。なぜなら、無宗教の国、日本だからこその利点、メリットも少なからず存在するからである。
 宗教間の争いごとは、国や時代に関係なく、昔から常に起こってきた。一神教として代表的で、今ではもっとも名の知れた宗教であるユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教でさえも、新しくできた時には例外なく迫害された。そういった宗教戦争として代表的なものの一つが、11世紀から13世紀にかけて行われた十字軍のイスラム遠征だ。ヨーロッパのキリスト教国が聖地エルサレムを当時のイスラム教国から奪い返さんと仕掛けていた戦争だが、これはパレスチナ問題として、今でも続いていると言っても過言ではない。このように、歴史上でも今現在でもなお、宗教というのは領地や財と同じように大戦争の火種としては一般的なものである。その一方で、日本の歴史上で起こった宗教戦争といえば、江戸初期に幕府がキリスト教を禁止したために天草四郎が起こした島原の乱はよく知られているが、それ以外は中学校の歴史の授業に出てくるかこないかのものばかりで、あるとしてもそれらは仏教間だけのものだ。そして、現在に関しては、宗教が原因の紛争や争いごとなどが日本で起こるとは誰も考えないどころか、そもそも宗教に関する認識(関心?)がとても低く、宗教などという言葉は教科書上でしか見たことがないという人も少なくないだろう。
 これが私の考えるメリットの一つだ。つまり、宗教に関しての争いごとが極端に少ない。もっと砕いて言えば、日本は平和な国なのだ。これがどれだけすばらしく、普通にはなし得ないことなのかは世界を見ればはっきりと分かる。例えば、先程挙げたパレスチナ問題もそうだし、私の父の国であるスリランカを見てもそうだ。スリランカには仏教、イスラム教、キリスト教などのさまざまな宗教の人が暮らしているが、その中でも仏教徒とイスラム教徒との紛争はかなり前から続いており、一時は落ち着いていたが、最近は仏教徒の大統領の影響で悪化してきたと聞く。無信仰であるがゆえにさまざまな信仰をもつ人を分け隔てなく受け入れることができる。それが日本の無宗教の特徴、また長所だと思う。どんな人に対しても、敵対する必要が全くないので、そういうものだとすんなり受け止めることができる。そういった考え方こそが、日本の平和を保ち、守っているのではないかと私は考えている。
 このように、メリット、デメリットが考えられた上でも初めに述べたとおり、私は日本という無宗教の中でイスラム教徒であることを誇りに思っている。そして、これから先も辛いことや苦しいことはたくさんあると思うが、自分がイスラム教徒であることを胸を張って言えるように生きていきたい。



◆佳作 グローバル化と日本 津島高等学校1年 小平 愛佳

 近年、日本のグローバル化が進みつつある。さまざまなものが国を超えて世界規模で拡大するこの時代であるが、日本がさらなる発展を遂げるには、何か変わらなければならない。日本人が世界に進出するには、第一に人と人とのコミュニケーション力を身に付けることが大切である。他国の言語や世界共通語である英語を話すこともそうだが、それ以前に会話に対する姿勢や取組を工夫することから始めるべきだ。では、さまざまな文化をもつ人と共存するに当たって、日本人に足りないものは何であろうか。
 テレビや新聞記事などで、日本は優しい国だとか、気遣いができる国だと言われることがよくある。その場合は普通、日本をほめたたえるときに用いられるが、果たして良い意味だけが含まれているのか。私はそうは考えない。日本人の気遣いや優しさ、遠慮には他人や自己への「無関心」さが表れている。特に、他人への「無関心」が分かりやすいだろう。
 例えば、電車に座っているときのことがわかりやすい。日本人は優しく、気遣いができるので、きっと「高齢者や妊婦さんがいたら座っている席を譲らなければいけない」ということを知っているし、気を付けてもいるだろう。しかし、実際にそのような場面で行動することができる若者は少数であるように感じる。この大きな理由としては、恥ずかしい、慣れていないため、ためらってしまうなどの他に、周りに気付いていないことが挙げられる。自分の近くにどんな人が立っているか、停車した駅でどんな人が電車に乗り込んできたか、注意して見ることができていないのだ。だから、周りに腰が曲がったおばあさんがいても、自分は座ったままでいられる。これはまさに、他人への無関心が原因で起こることではないか。周りを注意して見ることができていないのなら、日本人は気遣いや気配りができるとはあまり言えない。
 この他人への無関心は、他人と初めて会うときの印象につながる。人は、「相手がどれだけ自分に関心があるか」をよく見ている。自分に関心がある人とない人とでは、大抵の場合関心がある人との会話を優先するだろう。これは、大げさかもしれないが、仕事を誰とするかについても関連してくる。何事にも関心をもって生活している人と一緒に仕事がしたいという人の方が多いはずだ。つまり、いろいろなものやことにアンテナを張って、日々生活していれば、多くの人が自分の周りに集まってくるということだ。
 また、日本人は集団行動ができ、協調性があるとも言われる。確かに労働の中で仲間と協力し合うのは良いことだが、誰かに頼りすぎて自分一人では何をすることもできない人も日本人には多い。いつもはリーダーの指示で動いていたけれど、その人がいなくなると何をすればいいのか分からない。誰かに引っ張られて動くだけで、自分で主体的に動こうとはしない、または、動けない。そんな人も日本人には多いような気がする。これは、日本人には積極性がないことを意味している。消極的でいることにメリットはあまりない。では、なぜ日本人は消極的なのか。
 日本人は昔から、控えめがよい、謙虚な姿勢がよいとされてきた。それが日本の風潮であった。第二次世界大戦敗戦後、日本はアメリカのGHQの統治下におかれ、その中で決められたことを全て正しいものとして信じ込み、反論や意見を大声で言えなかった時代もあった。ひょっとしてこのことも、日本人が消極的である理由になるのではないだろうか。
 では、そんな消極的な自分を積極性に変えるにはどうしたらよいか。
 積極的とは、自己主張ができることである。しかし日本人は、日常生活の中で、自己主張や自己表現をする機会が少なく、慣れていない。自己主張をするには、何か伝えたいと思ったことに対して、どのように表現したらみんなに伝わるか考える必要がある。このことが重要になってくる。もしかしたら、自分のみんなに伝えたい意見の内容は、みんながあまり日常的に意識していないことかもしれない。でも自分の意見がどんな意見であったとしても、自分の意見が何かを変える力を持っていると信じることが大切である。そうやって自分意見をまず信じることが積極的に自己主張や自己表現をすることにつながるのではないだろうか。
 これまで、今の日本に足りないものについて話してきたが、簡単にまとめると、二つある。一つ目は、他人への関心だ。他人に対して無関心でいると、周りを注意して見ることができていない。それに、初対面の人と会うとき、相手が自分に関心をもってくれているかというところを人はよく見ていて、判断しているのだ。二つ目に、積極性である。日本人は昔の名残で消極的な姿勢が重んじられてきたが、それより、世界では自己主張ができる人材が求められている。自己主張をするためには自分が伝えたいことについてよく考えることが必要だ。この二つものを日本人が手に入れることは簡単ではないが、これからの日本のさらなるグローバル化のためにどうしても必要なことだと私は考える。



◆佳作【日本の未来を担う】~バディと接して感じた事~ 津島高等学校1年 高橋 誠子

 私は偶然「日本」という恵まれた国に産まれ、何不自由無く生きることができている。
 食事は三食しっかりとり、あたりまえに学校に行くことができる。街を歩いていて、頻繁にスリに遭うこともなければ、自動販売機ごと盗まれたりするような治安の悪さもない。こんなにも何も考えず過ごせることを幸せに思う。
 昨年の秋、念願が叶い、初めて国際交流をすることができた。相手国はタイで、私のバジバディは二つ年上の日本語を勉強している女の子だった。彼女は日本が大好きで、日本食は喜んで食べ、アニメや漫画、アイドルも私よりも良く知っていた。彼女と話していると自分が思っていた以上に、日本に関心をもってこなかったことに気付かされた。「Doyouknow?」に「No.」と答えている自分を恥ずかしく思った。しかし、私だけに限らず私たちの世代のほとんどの人が、そうなのではないだろうか。
 まず第一の原因は、学べる・知ることが出来る環境があることがあたりまえになっているところにあると思う。タイは発展途上国であり貧富の差が激しい。そのため、貧しい家庭で育った子どもたちは、学校へ行かず働かなければならない。その現状を知っているからこそ、学校へ行くことができる子どもたちは必死に勉強する。
 また、将来のビジョンがはっきりしている印象も受けた。私のバディの夢は「日本でガイドをして働いて、もっとタイのことを発信し、好きになってもらうこと」だそうだ。バディもそうだが、自分の国をもっと発展させたい、貧しい人たちを助けたいという夢をもつ子どもが多いそうだ。
 日本はどうだろうか。学歴社会の今、小さい頃から塾に通って勉強している人もいれば、学ぶことに消極的な人もいる。学力で、その人の人格まで見極められてしまうため、名門の学校は、いわゆる高級ブランドで、社会に出る上での武器になる。大学のためにではなくて、将来のために勉強することが必要である。今私たちに必要なことはたくさん日本について学んで、日本をもっと好きになることではないかと思う。
 この頃、ロボットが普及して、手作りが少なくなってきたり、若い世代に伝統的な行事が引き継がれずに、廃れてきている。手間や時間、費用がかかるとやらなくなってしまっている。逆に、商業ベースの行事は年々盛り上がりを見せている。恵方巻は、元々あった行事だが、コンビニエンスストアの宣伝力で広がった。また、お菓子会社から、西洋の行事であるバレンタインデー、ハロウィン、クリスマスが広がった。時代とともに、それぞれの価値観、生活観が変わってきて仕方のない現象だ。しかし、伝統は今まで何かしら意味をもって受け継がれて来たものであって、それを私たちの時代で廃れさせてはいけないと思う。また日本らしさは、海外へもPRできるので大切だと思う。
 タイは宗教への信仰が深く、特に礼儀については各家庭で厳しく躾られているそうだ。食事の場で水がセルフサービスの時は必ず自分よりも周りの人の水を先についだり、席を譲ったり、公共の場でいつも視野を広くもって行動していた。本当に優しく親切な人ばかりだった。
 日本にも良い所はたくさんある。おもてなし精神や、時間厳守など。しかし、駅で見るサラリーマンたちは、いつも眉間にしわを寄せ、小さい子やお年寄り関係なしに押し分けて入ってくる。全員ではないが、道で転んだ人を見て見ぬ振りする人も少なくない。自分中心思考の人が増えると社会が、日本自体がそうなってしまう。大切なことをつい忘れてしまいがちである。
 タイと日本を比較して考えてきたが、やはり日本ほど良い国は無いと思うし、周りの国の人にまで愛される国に住んでいることは、凄く誇りに思う。だから、周りの国の人々以上に日本人である私たちがこの国をもっと愛すべきではないだろうか。
 今の日本を変えるために必要なことは、一人一人が、今ある現状をあたりまえとは思わないこと・人を思いやる気持ちをもつこと・日本らしさを大切にすることだと思う。恵まれた国に産まれたことを感謝し、一生懸命生きることは、きっと日本の更なる発展に繋がると思う。人を思いやる気持ちは、少子高齢化社会の日本にとってなくてはならない。また、被災地復興支援など支え合うことができる。日本らしさを大切にすることは、いくら各国の文化が入って来ても決して個性を失わない、魅力的な国であることにつながる。
 次世代を担う私たちが、真剣に日本と向き合うことで、未来が変わる。後世のために、日々勉学に励んでいきたいと思う。



◆第9回三稜会懸賞論文 総評

 昨年度より審査委員長を務めております、34回生の大野広樹と申します。よろしくお願いします。
 去る5月11日に津島高校において第9回三稜会懸賞論文「稲葉真弓賞」の審査委員会が津島高校にておこなわれました。今回10校から553点の応募がありました。テーマは「日本」というテーマでした。「日本」というテーマは、自分たちが住んでいる日本のことなのでどんなことでも書けそうなテーマです。しかし、今回応募してくれた高校生の文章を読んでみると、自分たちの住んでいる日本であるにもかかわらず、私たちは意外と日本のことを実は知らないということが分かってきました。
 多くの作品では、日本の文化のすばらしさと今後そのすばらしい文化を継承していかなくてはならないという話に終始しているものが多かったように思います。
自分の国のことを悪く言う人はあまりいないと思いますが、ただ日本という国を礼賛するだけではなく、一度立ち止まって振り返って日本を眺めてみる。その中で見えてくる日本を分析してさらに日本という国が良くなる手だてを考える。そのような冷静な目と論理の展開で日本をとらえた作品が、今回最優秀作品に選ばれた清林館高校の三田村明沙美さんの作品でした。具体的には、彼女の文章の「日本のように恵まれた環境にいればいるほど、私たちは幸福を感じにくくなっている」という中に凝縮されていると思います。彼女はさらに「日本の欲は、少し傲慢である」とまで言い切っています。しかし彼女は、そこで終わらずに「幸せを心の面からとらえることの大切さ」を唱え、日本にこれからその可能性があることを述べて終わっているところに高校生としての前向きな姿を感じることができました。
次に優秀賞に輝いた清林館高校の栗山さんの作品ですが、彼女の作品は実際に自分が他国での経験を基に書かれており、非常に説得力のある文章になっていました。その内容は、日本の文化をそのまま良しとせず、あえて日本を否定するところから始まっており、そんなところに真に日本とは何かを考えようとする覚悟と決意が伺える文章でした。その自分の経験を基にした題材もさることながら、わかりやすい論理の展開が読むものを素直に納得させるものがありました。そしてなにより導かれた結論が、感覚的で抽象的なものではなく、具体的に自ら日本の良さを発信していきたいという前向きな高校生らしい意見で終わっているところが高く評価されました。
 その他、佳作に選ばれた作品の中には、日本以外の国での経験や、外国人との交流を通して日本を考えた作品があり、今回の生徒さんの作品を読むことによって、あらためて外から眺めて見ることによって本当の日本の姿が見えてくるのだということを私自身気づかされました。
 その他にも入賞はしなかったものの、今の日本の現状の一つとして「労働問題」「働き方改革」など今話題になっている時事問題から独自の視点で捉えている作品もあり、審査員によっては評価の高いものもいくつかありました。
最後に参加していただいた学校や生徒のみなさん、またご指導いただいた各学校の先生がた、本当にご協力ありがとうございました。来年度この懸賞論文も第十回の節目を迎えます。十年目にふさわしい作品が集まり、この懸賞論文がますます発展することを願っています。今後ともご協力いただきますようよろしくお願いします。本日はありがとうございました。



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