津島高校 三稜会懸賞論文 入賞者 ・ 優秀作 ・ 選評  一覧


24年度 稲葉真弓 懸賞論文 総評                                                                     

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平成24年度   稲葉真弓 懸賞論文 総評

( 平成25年9月29日 三稜会総会での 懸賞論文入賞者表彰式に稲葉さんから寄せられた 「 高評 」 )


 論文(家族)総評

  たくさんの応募・参加ありがとうございました。
  今回のテーマは「家族」。「家族」とは何だろう。生活のなかにあまりにも溶け込んでいるため、改めて考えることの少ないテーマです。日々顔を合わせる母や父や兄や姉。あるいは妹弟などが小さな共同体を形作っている。
  この世界最小の共同体が、どんなに大きな精神的存在であるか、みなさんの論文は考えようとしています。最優秀賞の布田さんの作品はお母さんの存在が光っていますが、その後押しに応えて「自分で生きる方法」を見いだそうとしています。「家族」が生きる力をもたらしてくれることを伝えようとした一編でした。
  優秀賞の平井さんの作品は自分の大切な「基地」として「家族」をとらえています。生きる足場としての「家族」。一緒に過ごすことの大切さや、家族の間にも「節度」が必要なことなど、教えられることの多い秀作でした。
  同じく優秀賞の後藤さんの作品「ちいばあちゃん」も認知症の祖母を通じて、濃密な触れ合いが壊れていく過程を描いていました。「家族」を支えるのは一緒に暮らす「家族」であることに後藤さんは気付いたのですね。
  今回は、東北の大地震を通じて家族を考えようとした作品が多くありました。何気なくいつも一緒にいる「家族」が、ふいにいなくなってしまう悲しみを思いやる作品の多くに、皆さんの豊かな感受性を見たように思います。
  次回のこの賞は、「稲葉真弓文学賞」として生まれ変わりますが、ささやかな論文であれ、「自分で考える力」と「それを表現する力」を培うお手伝いができればこんなにうれしいことはありません。
  次回も多くの方の参加をお待ちしています。





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       平成24年度   懸賞論文 入賞者氏名

                ◇ テーマ  『  家 族  』
                ◇ 応募総数  398 点 
                ◇ 入賞作       15 点

                     <最優秀作>   点
                           清林館高等学校   年  布田 章乃 
                       <優秀作>    点
                           津島高校             年  平井 菜々美     年  後藤  由樹
                         <佳作>  12 点
                           津島高校             年  大橋 涼     古谷 瀬菜    脇田 綾子    服部 愛 
                                                     年  加藤 茜     伊藤 咲季    吉川 萌香    内藤 可南子
                                                            石原 涼子    八木 萌百佳    加藤 萌衣
                           佐織工業高校      年  小久保 茉美


最優秀作 ・ 優秀作 ・ 選評    

最優秀作  「 家 族   清林館高等学校  2年  布田 章乃

  家族とは、安らぎであり、かけがえのない存在だとよく言われますが、私は、家族とは自分そのものであると思っています。
  私の家族は、母と私、妹と弟の四人家族です。母は一年中休みなく働き、化粧をする事もなく、いつも同じ服です。家は古い公団で、台所兼居間で、家族四人ギュウギュウになりながら過ごすのは、本当に幸せな時間で、私の大好きな場所だけれど、まわりの友達の家庭と比べれば、やはり何か差があるような気がして、少しコンプレックスを感じていました。
  高校一年生の秋、中学の頃から憧れていた海外留学の話を、母に言い出せずにいました。家族にとって大きな負担になるとわかっていたし、どれほど憧れても、私には無縁の世界で、現実にはなり得ないと思い、諦めていたからです。けれど、母は、その事を担任の先生から聞き、私に留学をすすめたのです。あまりにも意外すぎて、経済的な面での心配しか思いつかない私に、母はまるで違う話をしました。自分を助けるのは、自分しかない。これからする努力や苦労、全ての経験が、いつかあなたを助けてくれる。そして、それは、結果的に母を安心させる事になり、また同時に、妹弟を勇気づけ、伸ばす事につながるというのです。家族を大切に思うなら、まずは、自分を大切に生きてほしいと言われました。私の夢は、家族の夢になり、私の悔いは、母の悔いになる。「あなたは私なんだよ」と言う母の言葉に大きな衝撃を受けました。頭をガンと殴られたような、ギュッと抱きしめられたような、何か大きなドアが、目の前で、パァッと開いたような…。私は一人で生きているのではないのだと深く感じた瞬間でした。
  その後、私は一年間、カナダの高校に留学しました。絶対にムダにはできないという強い気持ちを常に意識して行動しましたが、実際は、何をやっているんだかわからない時間をたくさんすごしました。全てが英語で行われる授業に慣れないのはもちろん、日常的な事すら何もできない。そして、各国から集まってきている留学生達の発音の良さや、自己主張の強さに気後れして、言葉が出ない。無駄に時間を過ごしているのではないかという焦りとコンプレックスばかりが大きくなっていきます。そして、落ち込むたびに顔を出すホームシックが私を苦しめました。私は特別にダメな子だ、日本へ帰りたいと何度も思いました。
  でも、後戻りもできない事もわかっていたし、諦めるのも、負けるのも嫌でした。まずは、自分を変える努力から始めなければなりませんでした。気持ちを奮い立たせて、ゆっくりと前へ進む。毎日、何かひとつ進む。今日はひとつ。明日はふたつ。自分のため、家族のために。
  何度も波はありましたが、徐々に楽しくなり、手応えを感じる事が多くなっていきました。友達もたくさんでき、行きつけのカフェや、お店もでき、日本にいる時のように、自転車やバスで、どこへでも行けるようになって、いつの日か、何も意識しなくても、楽しい毎日をおくれるようになっていました。
  留学の経験を通じて、手に入れたものは、語学だけではなく「自信」です。できる自信ではなく、「ダメでもなんとかする自信」です。私には、泣いていても進んで行く強さがある事を知りました。きっと、どこへ行っても、頑張れると思います。私はいろいろなコンプレックスが消えて、以前よりずっと、自分を好きになりました。これまで歩んできた自分の人生までも、キラキラと輝いているように思えます。そして、不思議と、私の家族まで輝いているように感じます。狭い家も、年中同じ服の母も、泣き虫の妹も、生意気な弟も、最高に素敵です。世界一の家族だと心から思ってしまいます。
  思春期の少年は、親と一緒にいるところを友達にあまり見られたくないものです。でも、大人になると、親の話を誇らしげにしたり、優しく手をひいて歩くようになるのは、この原理ではないでしょうか。きっと年齢がきたからというだけの事ではなく、様々な経験をし、成長して、自分に自信がつく事で、自動的に親の事も自信がもてるようになるのだと思います。
  このような事からも、家族と自分は直結していると言えます。「あなたは私」と言った言葉のとおり、家族とは、自分そのものであると思います。
  私はまだ、用意された環境の中でしか、努力も苦労もしていません。この先、色々な経験をして、良い挫折もして、その中でまた何かを見つけ、自分が磨かれていけばいいと思っています。そして、今よりもっと自分を好きになり、家族を好きになっていくに違いありません。
  昨年、妹が私を追いかけて、同じ学校に入学しました。そして、この冬、ヨーロッパに渡り、イギリスやフランスの歴史や文化を学びました。妹もまた、苦戦しながらも、日々努力をして前進しています。そんな妹の姿を見ていると、まるで自分が体験しているかのように、胸が高鳴るこの気持ち。まさに、「あなたは私」。妹もまた、私そのものなのです。私の体はひとつしかないけれど、家族の人数分の夢を見て、ドキドキ、ワクワクしています。


選 評  「 家 族 」   審査委員長   稲葉 真弓

  母と私、妹と弟の四人家族のなんという力強い絆。「自分で生きる力」を身に付けることが、家族全体の幸せに通じることを発見した布田さんは、すばらしい。ことにお母さんの存在がひかっていますね。この素敵なお母さんを中心に回っている宇宙が見えるようです。でもいまは、「自立」した布田さん自身が、自力で回る惑星になっているはず。留学など、苦労した体験や努力の過程が生きている布田さんの「負けない力」と、それを惜しみなく後押してくれた家族の力に乾杯です!




優秀作  「 ちいばあちゃん   津島高校 1年  後藤 由樹

  幼い頃の記憶。「おかえり。」と優しい笑顔で迎えてくれた祖母。私はそんな日々を今でも鮮明に覚えている。私はそんなちいばあちゃんが大好きだった。ちいばあちゃんという名はその当時、祖母の母も生きていて名の呼び方を考えたときに祖母の母より若いということで、小さいおばあちゃん「ちいばあちゃん」と呼んでいた。共働きの両親であった私にとって祖母の存在はとても大きなものだった。「ちいばあちゃん、あなたはあの頃のこと覚えていますか。」
  中学生になり、祖母とのかかわりが一気に減った。部活をやっていたこともあり、小学生の頃よりも家に帰るのがすごく遅くなるからだ。祖母の優しい笑顔を目にしなくなったのはその頃であろう。
  食べたこと自体を忘れる、日付が分からない、怒りっぽい、表情が変わる、寝てばかり…そう、祖母は認知症と診断された。正直言って、信じられなかった。あんなに優しくて、大好きだったちいばあちゃんが世間で言われている「ボケ」になってしまったという事実を。演技しているんだ、嘘だ、私はそのように思うことで心を落ち着かせていた。
  祖母が認知症になったことで、様々なことを考えさせられた。私はまず第一に感謝の気持ちは伝えられるときに、伝えなければならないということを思った。次に何があっても家族は家族であるということを。
  一つ目は、今までは「やってもらえてあたりまえ」という考えをもっていて、素直に「ありがとう。」という言葉が言えていなかったということだ。相手が家族、友人、先輩、先生など誰であっても伝えたい。二つ目は、家族に何があっても助けることができるのも、家族、支えてあげることができるのも家族であることを忘れてはいけない。これから先、私の家族に何が起こっても、関係ないなどと勝手な考えを捨て、頼られる存在にならなければならないと思う。
  そして、私は自分の未熟さに驚いた。どれだけ人に頼って生きてきたのだろう、と悔しさというより惨めさを感じた。「自分一人では何もできない」という考えが浮かんだ。祖母ができなくなったことを私がサポートできない。それは単に、私が誰かに頼りすぎて生活してきたからである。
  自律心のなさに胸を痛めた。ガスコンロがつけられない、洗濯物がたためない、カーテンの閉め忘れ、など考えれば何個もある。それは全て祖母がやっていたことだ。こう考えれば祖母の存在は大きかったのだと思う。
  それと同時に、父親と母親もたいへんであるということに気づいた。小学生の頃、「なんでママいないんだろう。」と感じて寂しい思いをしたことがあった。その時はただ、なぜ母親が家にいないのか、とは考えることができなかった。私たちのために必死に働いていたのである。祖母のおかげで今まであたりまえに思われていたことを再確認した。
  施設へ入れずに、家で祖母の面倒を見ることを私はものすごく拒否した。一緒に生活なんてできるわけない。でもふと思った。あれだけ家族のために頑張ってきてくれた祖母のことを放置してしまうのか。感謝の気持ちも言えてない。恩返しの意味も込めて、少しでも手助けしたいと思った。
  祖母は週に三回程、デイサービスを利用している。デイサービスとは認知症やお年寄りの人などを対象として、半日面倒をみてもらえるというものである。
  デイの人が朝、迎えに来る。「行けないので。」と叫ぶ祖母の姿。それを「大丈夫だよ。」と優しい声をかけて車に乗せるデイの人。私はこの仕事を日々尊敬している。どんなことを言われても、笑顔で受けとる。なんて忍耐強いのだろうと思った。しかし、あれだけ行きたくないと言っていたデイから帰ってくると、きちんと「ありがとうございました。またお願いします。」とお礼を言う祖母がいる。そう笑顔で言う祖母の姿はなぜだか輝いて見えるのだ。
  「これね、デイで作ってきたんだよ。」と私に工作を見せてきた。祖母はデイで、カレンダーやクリスマスツリーや様々なものを作って持ち帰ってくる。機嫌の良いときだと私にそれを自慢してくる。少し前までは、うっとおしいと感じていたが、最近では「すごいね。一人で作ったの。」などと会話をするようにしている。
  このような情景はなんだか懐かしみがある。なぜなら、私も小学校低学年のとき、祖母に学校で作ってきたものをよく自慢していた。その関係が変化しただけ、と考えるのには時間がかかった。でも今では、祖母の笑顔が見られるだけで嬉しいと思う。あの頃を思い出すようで初心に戻れる気がするのだ。
  改めて人の笑顔とはすごいものなのだと感じた。だからこそ、家の中を「笑顔」であふれる場所にしたいと深く感じた。何かをやってもらって笑顔でありがとう。あたりまえのことをあたりまえにするだけでいいと思う。
  「あなたにとって、家族とは何ですか。」そういう質問をされたとき、みなさんはどのように答えますか。私は自信をもって答えることができる。「かけがえのないもの。」と。一見なんて簡単な答えなんだろう、と思う人もいるだろう。でも、何にも代わりとなるものがないものが「家族」である。
  高校一年生になり、自律心をより高めていかなければならない時期となってきた。家族に頼らず生きていかなければならない。自分でできることはやる。
 「ちいばあちゃん、あなたのおかげでたくさんのことを学べました。ありがとう。」この感謝の気持ちが届くことはきっとないだろう。だから、私はこれからも祖母の助けとなることで感謝を伝えたい。家族として、一人の人間として支えられる人でなく支える人として生きていきたい。


選 評  「ちいばあちゃん」  審査委員長   稲葉 真弓

    高齢の祖祖母が認知症になり、あんなに濃密だった触れ合いが段々減っていく。それをまのあたりにしつつ、大切なことを元気なときに伝えられなかった自分を悔やむ「私」。「ちいばあちゃん」にやってもらっていたことを、あたりまえのように思っていたけれどそれはちっともあたりまえのことではなく、「私」を支えるなにかだったという「気付き」が、とてもよかったです。支え、支えられながら家族はあるのだという、その思いを大切にしてください。




優秀作   「 家 族   津島高校 3年  平井 菜々美

  家族は、私にとって大変かけがえのない存在である。しかし、日々の生活の中で、家族がそばにいるということがあまりにも自然であり、その存在の意義や価値について、改めてじっくりと考える機会はなかった。
  現在、私が学校や普段の生活を楽しく過ごせているのは、家族という「快適な基地」があって、行き帰りがいつでも可能だからである。父は普段仕事で忙しく、最近は姉や私の帰宅時間もまちまちで、時間のリズムもバラバラになるが、コミュニケーションが不足しているとは思わない。母は、私たち子供と同じ空間にいることを強く望み、小さい時から、放課後の勉強や遊びなど、生活のほとんどをリビングルームに集約する習慣づけをしてきた。朝が早く帰宅も遅い父は、家で過ごす時間が無いにもかかわらず、子供たち相手に一生懸命無駄話をしようとしている。しかし、べったりくっつき合う「友達感覚の親子」ではなく、夫婦と子供たちとは明確に区別されていて、「親は偉い」といった上下関係を重視している、という感じである。
  「三世帯が全員で、決まった時間に食事を取る」という昔風の家に育った母は、自分の家庭においてもそれを崩したくないと思い、バラバラに食事をすることをさせない。普段は、私、姉がそろうまで夕食を待って三人で食事をし、父の休日には、許す限り家族四人全員での食事を心がけている。また、我が家では、食事中に携帯電話を見ること、触ることを禁じている。テレビを見ることも昔は厳しかったが、携帯電話は特に厳しい。それは、食事のマナーの基本であるとともに、注意がバラバラになるのを防ぐ意味がある。外で食事をしていて見かける光景だが、家族が食事をしながら携帯電話を手放さず、メールや着信があるたび、食事や会話が中断する。食事中の携帯電話の使用は、お互いに迷惑にならなければ大丈夫と思っているのだろうが、何か見えない壁ができて、確実に注意が外に向いてしまっている。私たちにとって、とても便利な携帯電話、パソコン、ゲームなど、さまざまなアイテムは、良い反面、家族間のコミュニケーションを奪い、親が子供のことを知りにくくする行為であることに間違いないと思う。これからの家族は団らんもできなくなるかもしれないのかなと、不安になる。
  また、最近のニュースでよく、家族間での悲しい事件を耳にすることがある。近年の統計などを見てみると、家族間でのトラブルは増加しているそうだ。背景の一つに、核家族におけるコミュニケーション不足が考えられる。昔の日本は、私の母の育った家庭のように大家族が多く、父親を頂点として、しっかりとした家族の決まりがあった。しかし、核家族化が進んで、この制度は崩壊しつつあると思う。なぜなら、今の父親は仕事に忙しく、不景気の中で生活費を稼ぐために心や時間に余裕が無くなり、子供たちに接する時間が少なく、母親だけが子供のしつけや学校での問題に関わることになり、相談する祖父母もすぐ近くにいないために、考え方が偏ってしまうからだ。また家族の数が少なくなったため、挨拶や会話の数も減った。さらに、子供たちが携帯電話を持ったり、インターネットを使うようになると、直接目を見て話をすることが減り、問題が起きたときでも、インターネットで簡単に検索して解決してしまえるので、人と繋がらなくてもよくなった。そこで、他人や家族との希薄化が起こって、あまり人と関わりあいたくなくなって、お互いを気遣ったり、助けようという気持ちが弱くなってきて、ただむかついたというだけで、親に暴力を振るったり、子供に手を上げてしまったりするのではないだろうか。少子化、高齢化、不況などが進み、その流れは避けられない。また、だんだんメディア機器の力が押してきて、個人の時間が増える。そしてそれぞれが孤立化していく。これを少しでも食い止めるために、もっと気持ちにゆとりを持ったり、あえてコミュニケーションをとることが大切だと思う。笑いあったり、会話を増やしてみたり。思っていることを伝えないと、家族といえども分かり合えない。素直に言い合うことで、意思の疎通を図るべきだ。そして家族の価値というものをもう一度見直す必要がある。
  全体を通して、家族には、「コミュニケーション」というキーワードが一番大事だと思った。いつもそばにいると思っている家族だが、もうあとどれくらい一緒に過ごせるか分からない。積極的に会話をしたり、同じ時間を共有するなど、これからも家族の一員として、よい状態を維持するために何ができるかを考えて、一緒に過ごす一瞬一瞬を大切に生きていきたいと思う。
  もしも将来、私に新しい家族ができても、一番にコミュニケーションを大切にしたい。社会は大きく変わっているであろうが、今、父母が自分にしてくれていることを継承していきたいと思う。そして、生まれてくる子供にも、家族とは本当にかけがえのない存在だ、ということを分かってもらいたい。


選 評  「 家 族 」  審査委員長   稲葉 真弓

    「家族ってなんだろう」と一生懸命考え、平井さんが導き出したのが「快適な基地」という言葉でした。父母と姉と私の四人が、一番大切にしているのはコミュニケーション。ことに食事の際には携帯電話は絶対に使わない、触れないと決めていること。こうした小さな約束事や節度が生きている家族のすばらしさが隅々にあふれていました。一緒に過ごす時間の大切さを伝える論文です。どの家族もこうだといいのに、とつい思ってしまいました。



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       平成23年度    懸賞論文 入賞者氏名
                  ( ※ 応募総数 341名 今回はすべて津島高校生からの応募でした )

         <最優秀作>  2年    佐藤  千玖紗
           <優秀作>   2年    大口  史容      2年  高尾  和香菜
            <佳 作>    2年    野田  美紀      2年  田仲  燿子      2年  岩田  美希
                              2年    鬼頭  美帆      2年  佐藤  麗菜      2年  鈴木  あすか
                              2年    新野  夢佳
                              卒業生  井戸  菜摘     卒業生  宮城  並季     卒業生  望月  麻帆


最優秀作 ・ 優秀作 ・ 選評    

最優秀作   「 命    生きるとは・・・   津島高校 2年  佐藤 千玖紗

  私たち人間は、水と食べ物と睡眠があれば、生命を維持していくことができると思います。それだけを考えると今の日本においては、生きることは難しいことではありません。しかし、それは生きることといえるのでしょうか。つまり、「生命を維持する」ということと、「生きること」は同じなのか、ということです。
  私は同じだとは思いません。私は「生きること」は、食事や睡眠などの基本的な行為よりも、そのほかの、生きるためにどうしても必要というわけではないような行為、または豊かな感情、感受性などのプラスアルファの部分が大切になるのではないかと考えています。
  私は友人のために手作りの誕生日プレゼントをつくったことがあります。渡した時の友人の笑顔を想像しながら一生懸命に私はつくりました。そのときの時間は自分でもとても楽しくしあわせな気分になりなした。受け取ってくれたときには、友人の想像以上のとびきりの笑顔に、また自分は幸せを感じることが出来ました。それはちょっとした普段の何気ない会話でも同じで、自分の冗談に相手が笑ってくれるだけ私はとても嬉しくなります。相手に楽しい気持ちになってもらえることは、自分が楽しい気持ちになることにも繋がります。誰かを笑顔にすること。これは私にとっての「生きること」の一つだと思います。
  私はよく夜に外に出て、星空や月を眺めたりします。また、芸術鑑賞をすること、具体的には絵を見たり、コンサートやレコード・CDでクラシックなどの音楽を聴くことが好きです。それらを見たり、聴いたりしていると、思いが言葉にならず、自然と涙が溢れたりすることがあります。その瞬間、流れた涙によって、私は今生きているということをふと思い出させられるのです。ものの美しさを感じられること。これもまた私にとっての「生きること」です。
  人がなにがしからの行動をとれば、なにがしからの影響が起こると思います。しかし、私は自分が誰かに影響を与えることがあるとは、あまり思っていませんでした。私は、今までの人生で一度だけ、死にたいといったことを、友人にこぼしたことがあります。自分に生きている価値なんて無く、むしろ迷惑をかけているだけなのではないかと思ったからです。しばらくしてから、その友人は私に手紙をくれました。そこには、その友人が、今の道を歩いているのは、私の影響が大きいのだといった内容とともに、感謝の言葉が書かれていました。それを読んで私はまず、ただただ驚きました。今まで本の中の登場人物に影響を与えられることはありましたが、まさか自分が他の人に良い影響を与えていたとは、思いもしていませんでした。自分が知らないうちに人に影響を与えていたということは、私にとってとても驚くべき事実だったのです。
  私は音楽部に所属していますが、それから暫くしてからです。部活で私が楽器を練習していた時、友人が私の演奏を聴いて、「感動で思わず足がとまった」と言ってくれたことがありました。そのとき、こんな自分でも誰かを感動させることが出来るのだ、ととても嬉しく感じ、心が満たされた感じがしたのを今でもはっきりと覚えています。
  これらの経験から私は新たに、「生きること」の新たな意味を見つけられた喜びを感じました。そして私は、ふと、「生きる意味を見つけていくということこそが、生きているということなのではないか」と思いました。
  最初に私は「生命を維持すること」は簡単だと言いました。確かにそうだと私は思います。しかし、「生きること」は決して簡単なことなんかではありません。私が述べた、私が考える「生きること」も簡単にできることばかりではなく、難しいこともたくさんあります。
  何もかもがうまくいっていては張り合いがありません。また、苦労して乗り越えたその先に、達成感や喜びがあるからこそ辛い時でも頑張ることが出来ます。簡単ではないが故に生きるということは楽しく素晴らしいものになるのだと思います。
  これからも、生きていれば楽しい出来事だけでなく、必ずたくさんの辛い出来事もあると思います。しかし、辛い時でも私は乗り越えるたびに、新たな「生きること」の意味を見つけて、たとえ少しずつであっても前に進んでいきたいと思います。そのようにして、日々自分の人生の質を上げていき、スタートラインでは自分より前に立っていた人も追い抜かせるような、密度の濃い充実した人生を生きたいと思います。そして、欲張りかもしれませんが、叶うことなら私は、後生にわずかでも自分の光を残していけたら、と思います。きっと、命は自分の力で輝かせていくものです。だから私は私の見つけた、自分だけの生き方で命を輝かせて、毎日をしっかりと生きていきたいです。


優秀作   「 い の ち   津島高校 2年  大口  史容

  僕は、命についてどういうことか言葉から考えることにしました。
  どうして「いのち」なのでしょうか。「命」ではなく。
  僕は、割と漢字を好んでいるので、文章を書く時などでも、自然と漢字が多くなっています。そのためか分かりませんが、文章を読んでいて、簡単な漢字で表記できるものが、ひらがなで書かれていると、少し違和感を抱いてしまいます。しかし、この作文を書くにあたって、テーマである「いのち」の言葉を見た時、私は全くと言っていいほど違和感を持ちませんでした。後になってとても不思議に思いました。どうして、あんなに自然に「いのち」という言葉を受け入れられたのでしょうか、と。
  「いのち」という言葉は、和言葉である。後に漢字が伝来し、この言葉に「命」という漢字を当てはめたのだが、漢字の持つ意味と和言葉の持つ意味とは、ニュアンスが微妙に異なっています。「いのち」の語源を調べてみると、いろいろと説はあったのだが「息の道」、あるいは「息の内」という言葉からきているらしいということが分かった。どうやら、日本人は「いのち」を「息をしている状態」と考えていたようである。日本語には、「息を引き取る」という言葉がある。これは、ただ単に「息が止まる」という意味だけを持つのではない。この言葉には、亡くなられる人の「息」を残された人達が引き取り、「いのち」を伝えていくという意味も含んでいるのだ。つまり、残された家族や友人に「いのち」を引き取られるということなのだ。このことから「いのち」は消滅したり断絶したりするものではなく、次から次へと伝えられていくものだと考えることが出来る。「いのち」は、尽きることなく続いていくものなのだ。それでは、「命」とはどういうものなのだろうか。
  「命」は、「口」と「令」とに分解することのできる会意文字である。「口」は、伝達という意味を表し、「令」はお告げという意味を表している。よって「命」とは、「天から授かった、生きる定め」というニュアンスをはらんでいるのである。「天命」という言葉があることから分かるように古代中国では、「命」という言葉に「天から授けられた」という意味を強く込めていたのだろう。
  このように考えていると、私が「いのち」という言葉を簡単に受け入れられたのにも、納得がいった。知らず知らずのうちに自分の中にも和言葉としての「いのち」のニュアンスが染みついていたのだろう。先に書いた「息を引き取る」という言葉について考える中で私は二年前に他界した祖母のことを思い出した。祖母には子どもが五人おり、彼等の意見では、病院での延命治療はさせたくないということだった。たくさんの管につながっている祖母の姿は、見るに耐えないものなのだろう。祖母の苦しみを持続させるのも、当然辛いはずだ。そういう訳で祖母は介護老人保健施設に入所した。毎日誰かが訪問しては、祖母を見舞っていたという。これは、時間をかけた「息の引き取り」ではないだろうか。私は今になってそのように思った。長い時間をかけて、祖母の「いのち」を子ども五人で引き取っていったのだ。
祖母の「いのち」は、次の世代へと受け継がれたのだ。
  夏休みには、様々な主催者が小論文や作文を募集しているが、そのテーマとなっているものは、今、本当に考えなければならないものばかりだった。「国際協力」や「原子力」「環境」など。その中で「いのち」というテーマがあがっているということは、この言葉について本当に考えなければならない時代が来ているということだ。「いのち」の尊さが失われている現実がある。ということなのだ。
  「いのち」という言葉からいろいろなものを読み取って感じとってほしい。今、この瞬間にも誰にも看取られることなく失われていく「いのち」があるのだ。「いのち」という言葉に限らずとも、一つ一つの言葉にもっと興味を示してみてはどうだろうか。そうすれば、その言葉はとても大きな意味を持つようになり、大きな広がりを見せるのだ。
  ということで私は、「命」について言葉から考えてこれほどまでも深い意味があったとは気付かなかった。
  「いのち」という言葉を考えた時、生きるとは最後まで天寿をまっとうすることだと思う。近頃、若者が自殺している記事やニュースをよく見る。今も自殺したいと願っている自殺志願者がいるわけで、その人達にとっての「命」とは苦しみや悲しみで、その人々に私は何もいうことはできないが、「命」は苦しみや悲しみを生むけれども、「命」を失っても苦しみや悲しみを生むと思う。今回、「命」について改めて考えることができ、良かったと思う。



優秀作   ( 生 き る と は   津島高校 2年  高尾  和香菜

  「生きること」それは、自分の周りの人の気持ち・感情を変化させることだと思う。 現在、生きている人々の多数は笑顔でいるだろうか、泣いているだろうか、怒っているだろうか。どのような感情をもっているかは、人それぞれ違うが、その感情はほとんど自分だけでは生まれない。自分の周りにいる人が、その感情にさせているのだ。
  私の祖母は、私が中学生の時に亡くなった。祖母が元気に生きていた頃、私が会いに行く度に、私が大好きだったお菓子を買ってきてくれたり、太陽の光のようなまぶしい笑顔を私に向けてくれた。私は祖母に会ってその笑顔を見るたびに、私も笑顔になった。私にとって祖母は太陽のように自ら輝きを放つ人であった。
  しかし、ある日突然、私を幸せな気持ちにさせてくれた祖母が、ガンであることを聞かされた。いつも元気で、わたしを笑顔にさせてくれた祖母が、どうしてこんな病気になったのか全く理解できなかったし、これからどのように祖母に接すればよかったのかわからなかった。すぐにでも祖母の元へ行ってあげたかったけれども、私が中学の時やっていた部活動は、とても厳しく、1日の練習量が多く、休みが数える程しかなかった。そのため、ガンだと聞いていたのに、私はなかなか会いにいけなかった。やっと休みがとれて、祖母に会いに行くことができたが、祖母はやせ細っていて、喋ることも少し難しい状態になっていて、一瞬 祖母であるのか疑った程であった。
  人はいつか死んでしまう。命が消えてしまう。そんなことはずっと前から知っていることなのに、命が消えてしまうかもしれないということが、言葉で表せないくらい怖くて、悲しくて、辛いものだということを知った。祖母にどう接すればよいのかわからなかったが、とにかく笑顔で接した。祖母が私を幸せな気持ちにしてくれたように、次は私が祖父母を笑顔にしてあげたいと思い、必死に祖母の前では笑顔をつくった。 本当は、祖母が死んでしまうことが怖くて、私の心は泣いていた。けれども、祖母の生きてきた人生に、少しでも「楽しかった」と思えた回数が増えて欲しかった。その時の私の心の中は、大好きだった祖母が、微笑んで欲しいという気持ちでいっぱいだった。
  そして、祖母はその数ヶ月後に亡くなった。お葬式で見た祖母の姿は、前会った時よりも、さらに細くやせて、冷たかった。祖母の顔を見た時、笑顔で私を真っ直ぐ見つめる祖母が頭の中に映った。「きっとお婆ちゃんは今、天国で私にくれたあの笑顔でいるのだろうな」と一瞬思った。その後、私は「一つの命はこんなに突然失われてしまうけど、命がある(生きる)ことによって、その人の周りにいる人を幸せな気持ちにさせてくれるものだなあ」と改めて感じた。
  私は祖母の死から学んだ。生きることの大切さを。そして決心した。私の周りで生きている人を、一人でも多く笑顔にしてあげるための行動をするということを。
  私はよく「ノー天気」な人だと言われる。確かにそうかもしれない。いつも笑っているのだから。けれども、私にも悲しいことや辛いことも沢山ある。人前ではそんな感情である時も、笑顔でいるだけだ。
  自分が悲しい顔をしていると、それを見た人もかなしくなるし、雰囲気も暗くなる。しかし、自分が笑顔でいれば、他人も 笑顔になって楽しく感じる。それを知っているからこそ常に周りの人が笑顔になるように笑っているのだ。私の場合、自分が楽しめるような行動をして自分が笑顔になることより、他人が楽しめて笑顔になってくれる行動をする方が好きだ。小さい頃からそう思っていたのかはわからないが、祖母が亡くなって、決心したときに改めて思った。
  「今私は周りにいる人を笑顔にさせているのだろうか」「私は他人にどんな影響を与えているのだろうか」 自分が決心したことが実行中となっていて欲しい。そして、周りの人々の笑顔がもっと増えてほしい。今の世の中、失業率が高く、景気もよくないため、世界中の人々の笑顔数が減少していると思う。お笑い芸人がテレビを見ている人を笑わせることも、他人を笑顔にさせるための一つの手段であるが、私は、一瞬だけ笑顔になることをするのではなく、「あのとき生きていたから、笑顔になれたのだ」と、過去を振り返った時に思い出せるような、人に影響を与える行動をしたい。祖母がその一例である。私は今、祖母を太陽のように自ら輝きを放つ人であると思っている。それと同様に私も誰かにそのように思われ、私が生きているから笑顔になれると思われる日がくると嬉しい。私の決心は一生壊れることがないと信じている。誰になんと言われても、私の生きる理由、決心はきっと変わらないだろう。私が書いたこの文章を読んで、少しでも多くの人々が、自分が生きる理由や自分の命とは何なのであるかを考えてくれたら嬉しい。もし、生きている理由がわからない人がいたら他人を笑顔にさせる行動をまずしてみて欲しい。



                 三稜会 懸賞論文  「  命  」

                                  選 評   審査委員長  
稲葉 真弓 ( 津島高校  20回生  小説家 )


                   ◎  最優秀賞    佐藤  千玖紗 

  どこに生きる喜びを持つか、それはどうやったら得られるのか。佐藤さんの論文は、「命」のありようを精神の豊かさにつなげたところに読み手を打つものがありました。ことに私は、人間は水と食べ物と睡眠があれば生きられるが、それは生きることと同じだろうか、と問いを投げかけた部分に「生」の本質を考える視線を感じました。そう、佐藤さんの言う通り、豊かな感情、感受性があって始めて「命」は輝くのです。それぞれの命の輝きが、小さな喜びを通じて隣りの人につながっていくこと。この発見を大切にしてください。


                   ◎  優秀賞    大口  史容

  「いのち」と「命」の違いを表記の違いから考えてみたユニークな切り口に、他の論文とは違う味わいがありました。印象深かったのは、「息を引き取る」という言葉に関する部分。「引き取る」とは単に人の命が「むこうに引いて行く」という意味だけではなく残された人がその人の命を「引き受けること」なのだという説には感心しました。これこそが本当の命の連鎖の形かもしれませんね。


                   ◎  優秀賞    高尾  和香菜

  おばあさんの死を通じて、自分の出来ることを精いっぱいやった体験が描かれています。死は本人もつらいしそれを受け入れる周囲もつらい。
高尾さんはそのつらさのなかで「笑顔」を信じておばあさんを見送りました。ぎりぎりまで笑顔を忘れず向き合った二人の姿が目に浮かぶようです。だれかを幸福にするための小さな行為が光る論文でした。



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       創立110周年記念   懸賞論文 入賞者氏名


                 創立110周年記念 三稜会主催 懸賞論文 最優秀作品
                       * 愛知県立佐屋高等学校  1年 稲山 未来
                優秀賞と佳作は下記の通りです
                 * 優秀賞は2名 ( 稲沢高校1名、津島高校1名 )
                 * 佳作は11名 ( 美和高校1名、稲沢高校1名、弥富高校1名、津島高校8名 )

最優秀作 ・ 選評        

 稲山 未来の考える未来  愛知県立佐屋高等学校  1年 稲山 未来

  私の将来の夢は、教員になることです。小学四年生の時の担任の先生に憧れ、なりたい・・・ と目指すようになりました。でも最も叶えたい私の夢は、教員という職に就くことだけでなく、 これから生きていく何十年のうちに出逢うすべての人々に愛と幸せを分け与えることのできる 大人になることです。
  私の母は、私を産むまでに二日間もかけて必死に産んでくれたそうです。そして、やっとの ことで私がこの世に生まれてきた数時間後には、阪神淡路大震災が起こりました。母は、死ん でしまうのだと思ったそうです。母は地震だったのだということをテレビのニュースで知った とき、神戸での苦しむ人々の姿を見てとても胸が苦しくなったそうです。そんな時、母は父と、 私の名前を"未来"にしようと決めたそうです。その由来は、大地震で苦しむ全ての人々に幸 せな未来がありますように、と私にたくして願いを込めて名付けたそうです。だからこそ、私はその込められた願いを背負って生きたいです。今まで、私は持病のぜんそくもあり、人々を助けるどころか、周りの人々の何倍も迷惑をかけ支えられてここまで生きてきました。だからこそこれからの人生は、人の何十倍もその恩を返していきたいです。今の私には、まだどういう形で愛や幸せを分け与えていけば良いのか方法が見つからないけれど、これから探して少しでも自分が人の役に立てることができたならそれが自分の幸せにも繋がっていくのではないのかなと思います。そして、人々に愛や幸せを分け与えていく間に、人と人との出逢いを大切にして素朴な人生にできたらさらに良いなと考えています。
  又、愛や幸せを分け与えたい、プレゼントしたい!と一番に想うのが両親です。実は、私の家は母子家庭です。周りの友達は、ほとんどこのことを知りません。今も含めて、人にこのことを知られるのが嫌です。別に今の時代、母子家庭なんて少なくないし、恥ずかしいことだとは思いません。それは、分かっているのにどうしても打ち明けることができません。ほとんどの友人には、父は海外出張だと告げて、私はこの十六年間の人生、ウソをついて生きています。罪悪感はとってもあります。でも、ウソは一回ついてしまえば、真実を言うことができなくなります。だからずっと言うことができませんでした。でも、この論文を書くことによって何かが変われば、自らの力で変えることができたらいいなと思っています。
  でも、言わない理由は、塗り重ねたウソのせいであり、決して母子家庭が恥ずかしいという訳ではありません。逆に言えば、母子家庭で良かったなと思っています。正直に言うと周りの友人の父親の姿をうらやましく思ったり、少しさみしいと思うこともたくさんありました。でも、その分、母がカバーしてくれて、それ以上の愛情をもらいました。なので、母子家庭で良かったです。この言葉に嘘は全くないです。私を愛し、育ててくれる母が大好きだし、今まで私の教育で苦しいことも悲しいことも頑張って乗り越えてここまで育ててくれた母に、たくさんの幸せをプレゼントしたいです。いくら幸せをプレゼントしてもし足りないぐらい、本当に母には感謝しています。まだまだ、これからも一緒に楽しみを共有し、幸せな人生を母と一緒に送っていきたいです。
  私がこの世に生まれることができたのは、もちろん母だけのおかげではないと私も理解しています。だからこそ、父にも感謝しています。父との思い出は何一つ覚えていないけど、父のおかげで生まれてくることもできたし、ここまで心が強くなれたのも父のおかげだと思います。だから父にも感謝しています。幼い頃の私は、父の顔など覚えていなかったし、離婚ということも理解できず、"捨てられた"としか思うことができずに嫌いだった時期もあったけど、母と二人でつらい時もどんなときも父を恨んだことは一度もありません。今は、理解もできたし、父のことも母と同じくらい大好きです。父とは、一緒に暮らしていないし、これからも一緒に暮らすことも絶対にないけれど、血はずっと繋がっているし、この関係は崩れることがないのだから、お互いに自分の生きたいと思うように生きていけたら、私はそれだけで幸せです。
  遠く離れていて元気にしているか分からなくて不安だけど、楽しく生活していてくれたらいいです。
  私も、両親が頑張っている分、頑張らなきゃなと思っています。私が在学する佐屋高等学校は資格をたくさん取得でき、他の学校では経験できないことを経験できるところが魅力です。その魅力を活かして、たくさんの資格を取得し、他ではできない経験をして成長して、学校生活の充実を目指し、日々の一日一日の生活を大切に頑張っていきたいです。佐屋高校での三年間を大切にして、一歩でも自分の夢に近づきたいです。
  稲山未来としての人生は一度しかありません。だからこそ、今の自分だからできることを日々探して、ムダなく生きていきたいです。好きなことは好き、嫌いなことは好きに近づけるように何事もプラス思考になって積極的に物事に取り組んで、全て自分の力にしていきたいです。まだまだ人間として年齢も低いし、精神的にも未熟だけど、いつかこの論文を思い返した時、実現できたって言える大人になりたいと思います。これからの人生、たくさんの人に出逢うと思います。その出逢いを大切にして、もっともっと出逢って、出逢いつくしたいです。人々に愛と幸せを分け与えることのできる人になるため、私は、これから準備をして夢の実現にそなえて頑張ります。この論文を読む方々にも、私の想いが伝わったら嬉しいです。すべての人々が幸せを実感できますように
・・・
  それを私は心から願っています。
                                                                       以上




          津島高校 創立110周年記念  三稜会懸賞論文  選 評

                                         審査委員長 : 
小説家 稲葉真弓 ( 津島高校20回生 )


      最優秀賞  稲山 未来の考える未来  愛知県立佐屋高等学校  1年  稲山 未来

  自分の立ち位置がしっかりと見えている強い作品だと思いました。この論文を書いたことで、これまでだれにも言えずにいた「母子家庭」へのコンプレックスが払拭されたのですね。そこを読んで私は強い感動を覚えました。書くことは「自分をさらけだすこと」ですが、そのさらけだした自分から「新しい私」を発見していく心の動きが作品の隅々ににじんでいました。
  未来さんの「未来」は、頭で考えた「未来」ではなくて、お母さんとの二人三脚の生活、不在であるお父さんへの思いなど実感から成り立っている。父母に対する深い感謝の気持ちや、「幸福」のありかを考えようとする姿勢もすばらしかった。これからも他者を大切に、名前通りのいい「未来」を歩いてください。





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